kurumama_renai’s diary

虐待を乗り越え、幸せな家庭を築くまでのお話

大人を信じられなくなった小学生時代4

大好きな大人

タイトルとは違うけど

 

小学4年生の時の担任の先生だけが、親の外面に惑わされず私を見てくれてました✨

 

今でも時々思い出しますが、この先生のおかげで

こんな家に負けない!

と思えました♥

 

名前は出口先生で、まだ若い女性の方でした。

初めて担任になったと言ってました(*^^*)

 

優しくてあかるくて。

 

すごく気にかけてくれてました☺️

 

顔が殴られてパンパンに腫れてた時は、

「何かあったの?ゆっくりで良いから話してね」

と言ってくれ

 

毎日「今日は何時間寝れた?昨日は何もなかった?」とコミュニケーションを取ってくれてました。

 

上に掛け合ってくれたものの、学校自体は何もしてくれませんでした。

 

問題を起こすなと言われたんだそうで。。

 

それでもずっと私の話を聞いて優しくしてくるた出口先生は、まさに私の希望でした。

 

先生に会うために、学校に行ってました。

 

辛い時は何も言わず抱きしめてくれた出口先生。

 

先生がママならいいのに…。と何度も思いました😊

 

たった1年だけでしたが、私の担任になってくれて本当に感謝です♥

 

この頃の生活リズム

小学4年生の頃の生活リズムを書きます。

 

7時起床

殴られた次の日は顔がパンパンになるので、氷で冷やす

8時半前 登校

ホームルームが終わり次第直帰

帰ってすぐバイオリンの練習

18時 晩御飯(あれば)

バイオリンの練習

0時 やっと練習終わり

       お風呂(あれば)

学校の宿題

3時〜4時 やっと就寝

 

こんな感じの生活リズムでした。

 

親の機嫌が良ければこんな感じ☺️

悪ければ、暴力タイムが入るので、眠れないことも。

 

あまり寝かさないのも、洗脳するため、正常な判断をさせない為だったのかもしれません。

 

暴力について

親がキレるポイント

 

  • テレビを見る
  • 友達に漫画を借りてくる
  • ホームルームが終わってすぐ帰ってこない
  • 口答えする
  • テストの点数が悪い
  • 家の壁や床に傷をつける 

と言った感じですかね。

 

ほんと、些細な事でキレるので、難しいのです💦

 

ジュースをこぼしちゃっただけ

足を踏んじゃっただけ

話しかけてはいけないタイミングで話しかけただけで

ブチギレるのです。

 

その度、髪の毛を捕まれ布団叩きで叩かれ、ビンタされ

 

ご飯・お風呂抜き

リビングで寝るよう強要。

 

まだまだ刃物が出てないだけマシかも。

 

それでも小学生の私は

 

「いつか、自分に子どもが出来たら

いつか大好きな人と一緒になれたら

絶対に大切にするのに…」

 

と幸せな未来を空想するしかありませんでした。

 

娘なら笑ってショッピングとか出来たら楽しそう!

息子なら、ママ大好きって言ってもらうんだ!

と。

 

いつかその空想を現実にするため

 

私は死なない。生きたい。負けたくない。

 

日々いつか現れる王子様を想像し、暮らしてました。

 

次回、5.6年生は担任が親と仲良しだったので、地獄になります。

大人を信じられなくなった小学生時代3

初めての電話

小学3年生の頃になると、我が家は異常であるとしっかりと自覚していました。

 

そして、偉い大人に電話すればきっと逃げ出せると思ってました。

 

学校には公衆電話があったので、その時少し仲が良かった友達にテレフォンカードを借りました。

 

そしてお昼休みの時間、子ども電話相談室?みたいな相談サービス

に電話。

 

私「ママが叩いてきたりするんです」

 

女性「今はどこから電話してんの?」

 

私「学校…」

 

女性「そっか、お母さんが叩いてくるってどんな感じで?」

 

私「何か怒らせる事をした時とか、ママの機嫌が悪い時に布団叩きで叩かれる。」

 

女性「…悪いことしたら叩かれて当然やで?お母さんだって人間やから、機嫌が悪い時もあるでしょ?あのね、もっと大変な事になって、誰にも相談出来ひんようになってから、また電話してね。」

 

私「…はい。」

 

ここで電話は終わりました。

 

私の頭の中には落胆と疑問が…

 

果たしてウチの家は、助ける程でもないのか

私の感覚がおかしくて、悲劇のヒロインぶってるのか

 

正常とは何かがわからず、混乱してしまいました。

 

※今の令和とは違い、まだまだ虐待は命の危険があった場合のみしか取り上げられない時代だったというのも、あると思います。

 

最悪な事

電話の対応も最悪ですが…

 

さらなる最悪な事がありました。

 

電話してる所を先生に見られていたんです。

そして、親に告げ口されてました。

 

どこに電話するのか、テレフォンカードを貸してくれた友達に先生がしつこく聞いたようで…

 

子ども電話相談室に電話した事が親にバレてしまいました。

 

後から知ったことですが、外面の良い母親が先生に「あの子は虚言癖がある。おかしな行動をする事がある。だから、見張っておいてください。」と伝えていたそうです。

 

帰ってからは、またいつもの暴力です💦

 

この頃になると、自由にお風呂に入るのも許されてなかったので、夏場は本当に辛かったです。

 

冬場は水風呂だったことも…。

 

この頃の私

今考えてもかなり病んでました💦

 

道路の真ん中をフラフラしてたり

(クラスメイトに指摘され気付きましたが、自覚は全くなし&記憶もありませんでした)

 

目の焦点が合わなくなったり

 

刃物を見て、これで自分を刺せばどうなるかな

と妄想してみたり。

 

涙も出ませんでした。

 

絶望はするものの、まだ子どもの自分は耐えるしかなかったから、逃げ場もなく

精神が崩壊しかけていたのだと思います。

 

よく生きていた。

過去の自分にそう言いたいです☺️

 

大人を信じられなくなった小学生時代2

小学校2年生

 

私には姉妹がいます。

でも、虐待の標的は基本私1人でした。

 

どうせ殴られるなら…と身代わりになることも多々あったように思います。

 

とにかく完璧主義者の母親。

家具や壁にキズがつくだけで、発狂するような人でした。

 

ある日壁にキズが…。

 

母親は

「誰がやった?」と姉妹全員を正座させました。

 

私は身に覚えがなく…

 

でも姉妹も「やってない」と言うのでした。

 

「誰もやってないって言うなら、全員どついて吐かせるで。」と母親。

 

周りを見て、あー…私が身代わりになればいいのか。と何故か思ってしまいました。

 

「ごめんなさい。私がやりました。」

 

そこからは地獄でした。

 

胸ぐらを捕まれ布団叩きで叩かれ、床に叩きつけられ…

 

とうとう家を追い出されました。

 

小学2年の子どもに何が出来ますか?

 

普通は守ってくれる存在であるはずの親が、虐めてくる。

 

私はどうしようもなく、玄関のドアを叩き続けました。

 

3時間寒い中、裸足で外にいました。

 

やっと家に入れて貰えた頃には、もう抵抗する気力も残っていませんでした。

 

「おい。お前、なんか言うことは?」と言われ

 

「ごめんなさい。二度と同じことしません。許してください。」と謝るしか出来ませんでした。

 

心の中は

「私じゃないのに…。悪いことしてないのに。でも姉妹が殴られるよりマシかな。守れた。よかった…」と思ってました。

 

この頃、きっと異常な環境に洗脳されていたように思います。

 

小学2年生の頃の友人関係

前回の事があってから、私は友達と深く関わることは避けていました。

 

どうせ一緒にあそべないし

どうせ友達が出来ても親になんか言われるし

どうせ…

 

と諦めてしまっていたんです。

 

そのせいで、人と絡むことは減っていきました。

 

休み時間は1人泥団子を作ったり、教科書を眺めたり…。

 

先生は誰も気づいてくれませんでした。

 

殴られて顔にアザがあっても、顔がパンパンに腫れ上がっていても。

 

何にも期待しなくなったのは、この頃からかもしれません。

 

まだ小学2年生なのに、生きる意味を考える事もありました。

 

親に叩かれる為に生きてるのか。と。

 

家族の前では極力楽しいおバカさんを演じ、母親がクスッと笑ってくれるように

 

すごく頑張ってました。

 

顔色を伺い、機嫌が悪くならないように…

 

今の私が思うこと

子どもにとって親は、全てなんですよね。

 

1番に頼れる大人が親なんですから。

 

今、私の子どもが全力でワガママを言ったり、やんちゃしたり…

 

そんな姿を見てると、嬉しいのと同時に

私にそんな幼少期があれば、どんな人間になっていたのかな

 

とも思います。

 

せめて私の子ども達は幸せにのびのびと育って欲しい☺️

そう思います🥰

少し脱線しますが…

どう思いますか?

過去編の途中ですが少し脱線します!

 

私は親と縁を切りました。

 

さて、「親御さんは?実家は?」の質問に対して

 

「色々とあって縁を切ってます。」と答えると、なんて言われると思いますか?

 

 

大抵の人はこう言います。

 

  • 酷い子どもやねぇ。
  • 子どもから歩み寄らないと!
  • 産んでもらって感謝はないの?
  • 薄情な人間やね。
  • 死んでからじゃ遅いよ。
  • そんなんで自分の子ども育てれんの?

 

とこんな感じですね。

 

いつも思うんですが、

 

あなたに何が分かるの?

と。

 

親は子どもが欲しくて作った。

それなのに優しくせず、言いなりにさせ

操り人形のように育てようとした。

 

どこに感謝する要素が…???

 

もしかしたら、私がもっともっと大人になれば感謝出来ることもあるのかもしれない。。

 

けど、今はまだ感謝できません。

 

私のように縁を切れる虐待児は、実は少ないのです。

 

親が可哀想だとか、色々考えたりしてしまってスッパリ縁を切れなくて苦しんでる方もたくさんいます。

 

どちらのパターンも苦しむ事がたくさんあります。

 

どうか、薄情だな。なんて思わないで下さい。

 

最近、役所の方に上記のような事を言われまして…

 

あ〜、まだまだ理解はしてもらえないな。

 

と少し辛くなったので、書きました😌

 

産んでくれてありがとう 

は、思えないけど。

 

子どもに対して、

生まれてきてくれてありがとう

は、日々思ってます(*^^*)

 

子どもの存在だけで、私は今日も明日も頑張れる✊

 

さて、まだまだ辛い過去編が続きますが…

 

最後は必ず幸せな姿をお見せしますので、

お付き合い下さいませ🥰

大人を信じられなくなった小学生時代1

小学校1年生

小学校、初めて会う友達がたくさんいて凄くドキドキしたし、ワクワクでいっぱいでした🎶

 

学校の近くには駄菓子屋さんがあって、そこでお菓子を買ったりするのに憧れてました😊

 

入学して間もない頃、仲良くなった友達に

「帰り道、駄菓子屋行こ〜!」と誘われましたが…

 

お小遣いを貰ってなかった私は「一旦帰って、お小遣い貰ってから来る!!〇時くらいに待ち合わせしよ〜!」と友達と約束しました。

 

急いで家に帰って

「ママ!友達と駄菓子屋さん行きたい!ちょっとお小遣いほしい〜」と言いました。

 

またしてもビンタです。

 

「友達が何?誰が遊んで良いって言った?お前にそんな権利はない。」と。

 

でも友達が待ってる…。約束しちゃった…。

 

「今日だけでいいからお願い…。友達が待ってるねん」

必死に食い下がりました。

 

すると母親はベランダに出て、布団叩きを持って戻ってきました。

 

「おい。ケツ出せ。」

 

抵抗しましたが、まだまだ子どもの私に出来ることは何もありませんでした。

 

布団叩きでおしりを叩かれ、おしりが真っ赤になってミミズバレしてました。

 

「ごめんなさい。もう友達と遊ぶなんて言わないから、許して。」

 

何度も何度も謝って、ようやく暴力は終わりました。

 

その日の晩はご飯は抜き、お風呂も抜き、寝るのはリビングでというお仕置付きでした。

 

結局、友達との約束はドタキャンしてしまいました…。

 

翌日謝りましたが、うちの母親の行動は理解してもらえず、それ以降はあまり話さなくなってしまいました。

 

この件があってから、友達を作ってはいけないのかな…と悩み続ける事になります。

 

記憶喪失

 

きっと他にも色々あったはずですが

 

19歳の頃、虐待のショックで一時過去の出来事をかなり思い出せない時期がありました。

 

高校?どこに行ってたっけ?

私何してたっけ?

 

って感じでした。

 

時間を経て思い出して来たので、思い出せる範囲で書いていきます😊

 

はじめの記憶

前置き

少し前置きを💦

 

母親は、自分の夢を私に押し付けていました。

 

ある楽器のプロになることなんですが…

 

その世界では結構有名になってしまっていたので、身バレ防止の為に仮にバイオリンという事にしておきます😌

 

5歳(年長さん)

1番古い記憶は、年長さんの時です。

 

幼稚園で好きな男の子がいて、その子と初めて手を繋げた日でした。

 

すごく嬉しくてテンション⤴︎ ⤴︎⤴︎

 

家に帰ってから母親に言ってしまいました。

 

「ママ!今日ね、〇〇君とお手て繋げてん!」と。

 

その瞬間思いっきりビンタされました。

 

「汚らわしい。まだ幼稚園児やのに色気づいてんのか!そんな暇があるなら、バイオリンの練習しろ。飯も食うな。

汚いお前に食わす飯はない。」

 

と怒鳴り散らされました。

 

悲しくて父親の方を見ました。

 

見て見ぬふりで黙々とご飯を食べていました。

 

幼いながらに

「そんな悪いことしたのかな?」と思いつつも、泣きながらバイオリンの練習へと防音室に向かいました。

 

しばらく練習していると、母親が来ました。

 

「ご飯食べたいんか?」と。

 

「…食べたい。」と言うと

 

「二度と男に触れるな。汚いから。分かったな?」ともう1発ビンタされ、やっとご飯を食べる事が出来ました。

 

ご飯後、父親がボソッと私に一言。

「お前がいらん事言うから。頼むから余計な事言わんといてくれ」

 

幼いながらに、何か心が潰れるような気がしたのを覚えています。

 

この事件があってから、私は少し変わりました。

 

いつでも笑顔で明るく楽しく、少しバカで面白い人間を演じるようになっていきます。

 

自分を守るために。

 

初めまして😊

はじめに

減ることのない虐待のニュース

 

見る度に嫌な気持ちになりますよね。

 

実際に虐待を受けてきた人は、過去に親にされた事を思い出したり、気持ちが落ち込んだり…

 

どうしようもない苦しみが永遠と続きます。

 

親から逃げたから終わりではないのです。

 

虐待は子どもの心を殺します。

 

私もかなり乗り越えましたが、まだまだ完全には乗り越えられておりません。

 

自分の気持ちを整理し、過去と決別する為に

今苦しむ方が少しでも前向きになれるように

 

書いていきます☺️

 

親について

虐待といっても種類は色々ありますよね。

 

ウチの場合は

  • 完璧主義者・支配欲が強い・子どもは自分の夢を叶える為の道具だと思ってる・外面だけは凄く良い母親
  • 無関心の父親

でした。

 

禁止事項は沢山ありました。

  • 友達と遊ぶの禁止
  • 男女交際一切禁止
  • 結婚禁止
  • ケータイを家で触るの禁止
  • 友達と電話するの禁止
  • 母親の言うことは絶対
  • 母親の機嫌をとるのは子ども

 

とまぁ、大まかに書いてもこれだけありました💦

 

助けてくれる大人はほぼおらず。

 

 

少し暗い話が続きますが、お付き合いくださいませ🙇‍♀️

 

次の更新は5歳の頃の記憶を書いていきます☺️