大人を信じられなくなった小学生時代5
出口先生と山田先生
4年生の時、担任だった出口先生は違う学校へと移動になりました。
でも私の事を次の担任の先生に引き継ぎしてくれてました。
「虐待を受けてる子がいる。注意深く見て欲しい」と伝えてくれてました。
新しい担任になった山田先生。
母親と面談してくれました。
家での様子や環境など、色々話したそうです。
面談後、先生から言われたこと。
「あんな素晴らしい親、なかなかいませんよ?ご飯もらってないとか全部ウソなんですね。
嘘をついて人の気を引きたいですか?親の事をバカにして!大した大人になれませんね。」
あー…。
母親、外面いいもんなぁ。
見抜ける人なんてそうそう居ないもんね。
と、反抗する気力もありませんでした。
この頃になると、私も成長してきていました。
- 無駄な抵抗はしない
- 親に反抗しない
- 空気を読む
- 察する
- 殴られてる時は大人しく従うと早く終わる
無事生き残るためにはこうしなければならない、と分かっていましたから。
たった一度の父親の反抗
普段から見て見ぬふりの父親。
殴られてようと、血が吹き出ていようと、
無言でした。
でもたった一度だけ、助けてくれたことがありました。
あまりにもボコボコに殴られすぎて、私が過呼吸になってしまった時です。
父親が立ち上がり、母親を突き飛ばしました。
「たいがいにしとけよ。やりすぎや。いつもギャーギャーうるさいんじゃ。」と。
母親も流石にびっくりしてました。
これで虐待もおさまっていく…はずもなく、
翌日からは父親への嫌がらせも始まりました。
姉妹のご飯だけ用意し、世話をする。
私と父親はご飯抜きお風呂抜きの生活が始まりました。
父親は勝手にキッチンで自分のご飯を作ってました。
私はキッチンに入る事自体を禁じられていましたので、給食のみで生きていました。
1週間くらい経つと、父親は母親に謝っていました。
「俺が悪かった。子育てには二度と口出ししない。」と。
この頃私の心の中は真っ黒だったので
「頼りない父親。助けようと思う大人もおらんのかよ。しょうもない世の中やわ。」と常々思ってました。
ひとりぼっち
学校では先生に見張られ
友達とも遊べず、学校とバイオリンのレッスン以外は家から出られない。
ひとりぼっちでした。
反抗することもなく…。
この後中学時代以降は、かなり反抗しまくる事になりますけどね😊